僕が文章を書き続けるのには理由がある

現代の人々は人類の歴史上に例をみないほどの消費を行っていて、私たちは今、かつてないほどに食べ、数え切れないほどの流行りの音楽を聴き、膨大な量の情報を日々目にしています。

このような状況に対して、世界一貧しい大統領と呼ばれた元ウルグアイ大統領のムヒカ氏は「人類が無限の消費と発展を求める社会を作って来た結果、私たちは逆にこの消費社会にコントロールされている」と述べていますが、行き過ぎた競争と消費によって成り立っている現在の生活スタイルを見直すべき時がきているのかもしれません。

このように大きく消費に傾いたハイパー消費社会の中で、文章を書くという知的な生産をおこなう人は一体どれだけいるでしょうか。

文章を書くとは、それはつまり、なにかを生み出す行為であり、文章を書くことで消費一辺倒の世界から一歩抜け出し、何かを消費する側から新たな価値を創造する側へと回ることができます。

消費を楽しむ人は多いけれど創造を楽しむ人は圧倒的に少ない

最近ではブログやSNSの利用は拡大していますが、まとまった文章を書く人は少なくなっているようで、クリック数を稼ぐための過大なタイトルが注目を集める一方で、内容の薄いコンテンツが量産され続けているのです。

こういった現状を受けて、Googleは検索エンジンの大掛かりなアップデートを定期的に行っており、それぞれのサイトに対してユーザーの役に立つオリジナルなコンテンツが十分あるかという点から日夜評価を行っています。

文章を書かない人が増える世の中で、クオリティの高い長い文章を書くことができる人は、文章を書くことがない人に比べてそれだけで有利なポジションを得ることができるのです。

「量は質を生む。書く量が少ない者は消える運命にある。」レイ・ブラッドベリ(アメリカ20世紀の小説家)

「量は質を生む。書く量が少ない者は消える運命にある。」レイ・ブラッドベリ(アメリカ20世紀の小説家)

また、よく言われるように、文章を書くという行為は自分の持っている知識を整理し体系化する行為でもあります。インプットした知識をそのままの形で全て引き出すということはできません。

私たちに求められているのは、ただ知識を詰め込むことではなくて、自分が必要・重要だと思う知識を状況に応じてかいつまみ、的確に引き出すことです。

それを考えれば、大量のインプットに対してアウトプットはほんの少しになることは明らかであり、その僅かな言葉に全てを凝縮させることで自らの知識をより洗練されたものに変えることができます。それは言いかたを変えれば、知識を更新する作業だと言ってもいいでしょう。

脳科学者の茂木健一郎氏は「創造するということは、過去の体験や記憶を、組み合わせを変え、結びつきを変えて、アウトプットすることだ。」と言っていますが、1語1語文字を組み合わせてオリジナルの文章を生み出すという作業を繰り返すことで、日々頭のOSをアップデートし、知的生産性を高めることができるのです。

インプットするだけでは、ただの自己満足にすぎません。いかにアウトプットするかが勝負なのです。

さらに、文章を書くという行為の持つ意味にはもう1つ、その時あった出来事や自分の感情・思考などを記録しおくというものがあります。文章を書くことである特定の瞬間に起こったことを文字にして残しておくことができるのです。

あの事件があったとき、自分はどのように思っていたのか、どんな感情を抱いていたのか、気持ちを写真に収めてとっておくことはできませんが、その時の思いや思考の跡を文字にして残しておくことは可能です。

そして、そこに残された文章は、時にそれを綴った人が死んだあとでさえ、人々の心の中を生き、輝き続けます。

夏目漱石や、太宰治、芥川龍之介といった数多くの文豪の作品は未だに色あせることなく私たちの心を楽しませ、海を越えた海外ではヴァージニア・ウルフやマーク・ツワイン、ジョージ・エリオットといった作家の名作が長い年月を超えた今日も語られています。

本当に良い作品は消費されることなく時代を超えて残っていく

ここまで述べてきたように、文章を書くという行為はとても可能性にあふれたものですが、その過程は美しく整えられた文字たちとは裏腹に、いばらの道を歩くような苦痛に充ち溢れたものです。

村上春樹のデビュー作である「風の歌を聴け」には、「僕にとって文章を書くのはひどく苦痛な作業である。一ヶ月かけて一行も書けないこともあれば、三日三晩書き続けた挙句それがみんな見当違いといったこともある。」と書かれています。

それは、文章を書くためには自分自身と向き合い、自分の思考をとことん深化させる作業を避けて通れないからではないでしょうか。

言葉とは思考の上澄みにしか過ぎず、深堀りした思考を文字として可視化する行為は強烈な自己修養の側面をも備えているのです。

文章を書くというのはとても孤独な作業

哲学者のフランシス・ベーコンは「読むことは人を豊かにし、話し合うことは人を機敏にし、書くことは人を確かにする。」という言葉を残しています。

これと同じように、シェイクスピアに次ぐ巨匠としてイギリスが誇る劇作家のバーナード・ショーも「人生は自分を見つけることではない、自分を創ることなのだ」と語っています。

もがき苦しみながら確立された文章は、自己を形成し、それはやがて強烈なメッセージとなって人々の心に刺さり、終には現実に対して影響力を持つのです。

こういったことを考えれば、文章を書くという行為は、ただ文字を書くという行為にとどまらず、自らを形作る行為であり、さらには世界を創造する行為であるということができるでしょう。

だから僕は、今日も文章を書き続けます。