VRなんか比じゃない。演劇こそ最高の没入体験だ。

以前「演劇を見よう!シェイクスピアは教養じゃない。」という記事を書いたこともあり、割りと頻繁に演劇を観に行くことはあったんですが

・自分を押さえ込んでしまう、

・周りに合わせてしまう、

・感情を表現するのが苦手だ(シャイだ)、

・状況に応じてキャラを使い分けられたら便利かも(スピーチの時は共感を呼ぶように、会議の時はハキハキとなど)、

などの思いから

「演劇をやってみたらいいのかも!」と思い立ったことが理由です。

そして今回ワークショップに参加して、いくつか気付いたことがあるのでそれを書いてみようと思います。

 

☆☆☆

 

あたり前ですが、人前で演技をするってすごく恥ずかしいですよね。

「自分の演技変じゃないかな」とか、「うまくできてるかな」とかついつい考えてしまいますが、これらはすべて「他人目線」の思考です。

あとは「ここはこういう風に読もう」とか、「このシーンは誰々の真似をして演じよう」とか考えることもよくあると思いますが、これは「自分目線」の思考です。

そして、今回ワークショップに参加して気づいたのは「演劇をする」「演じる」「演技をする」というのは、ある特定の役柄を「(自分が)演じる」というよりも、それに「なりきる」「その世界に入り込む」という感覚にとても近いです。

別の言葉で言えば、「今ここ」に意識を向けるマインドフルネスとか、(自分は体験したことありませんが)ゾーンと呼ばれるものも似ているのかもしれないななんて思いました。

自分が大草原の上に立っていて、吹き抜ける風を感じ、湖畔には動物たちがいて、青い空には太陽が輝いている、というのをイメージすることができると、目の前で人が自分を見ているとか、どういう声色を使おうとか考えることはしなくなります。

ただ、自分が草原にいるカウボーイとして発したいように声を出して、動きたいように振る舞うと、自分を見ている人がいるとか、スタジオの中にいるんだという感覚すらなくなってしまいます。

意識の対象は、セリフが描く情景と、他に登場する人物たちだけになります。

それが「演じる」のではなくて「役になりきる」「世界に入り込む」ということなのかもなと思いました。

先日、Galaxy Shopで最新のVR機器を体験しましたが、それは「自分がゴーグルをつけてVRの映し出す世界を見ている」ということで「自分目線」が存在したのに対して、今回のワークショップで感じた没入感はVR以上のものでした。

 

☆☆☆

 

最近は「なんのために働くんだろう?」とか考えて思い悩むことが多々あったんですが、今回のことでよく分かりました。その思考がすでに間違っていたのだと。

よく「お客様のために」働く、とか「応援してくれる人のため」に頑張ると言われているのを聞きます。それが間違っているとは思いません。そういうからにはきっとそうなのでしょう。

ただ、今回気づいたのは、感動させようと思って演技している役者に観客は感動しないし、自分が活躍したいんだとだけ思っているスポーツ選手も人は応援しません。

なぜ高校野球があれほど人気を集め、多くの人が球児のプレーに感動するのかといえば彼らが「応援してくれる人のため」とか「サポートしてくれる人」のためにプレーしているからではなく、目の前の一球一振りにすべてを懸けているからです。

突き詰めればそれは「自分のため」ですらありません。そうすることによって結果それが自分のためになり、他人のためになるという感じでしょうか。

夢中になって一生懸命頑張る姿に人は感動するのであり、最近ではボルトも日本人の選手に100m10秒の壁を切るには「自分のために走れ」とメッセージを送ったそうですが、岡本太郎的に言えば「生命の炎を燃え上がらせる」ということなのかなと腑に落ちた気がします。

仕事とか、人間関係とか、家事とか、テレビで話題のあの人とか、うまくいかなかったらどうしようとか、そういうものからすべて離れて、そういうものの存在しない非日常世界に入り込めるんだな。演劇は。

そりゃあ観る方も面白いわけだよ。