ダリ展へ行ってきました

「完璧を恐れるな」というコピーに惹かれて、以前から密かに気になっていたダリ展へ行ってきました。

僕はもともと美術館には自分から積極的に行くようなタイプではなくて、友達に誘われてとか観光のついでに立ち寄るといった感じなのですが不思議とこのダリ展は行ってみたいという気が起きました。

それだけこのコピーに心を掴まれていたのかもしれません。

いざダリ展へ行ってみると、作品を見る中でいくつか感じたことがあったのでお話ししたいと思います。

1つは、自ら天才を自称するだけあって、ものすごく色んな絵のスタイルを持っているなあということです。

オリラジの中田さんの解説を見てからピカソがありとあらゆるタイプの絵を描いていることを知りましたが、ふとその話を思い起こしてしまうほどに、ダリの絵も立体的な油絵から本の挿絵、風景画、アニメーション、映画、宝飾品など様々なスタイルの作品が展示されていました。

僕はおそらく文章を書くことに人よりも少しだけ思い入れがあると思うのですが、ダリの作品の幅の広さは文章を書く上でも同じことが当てはまるなあと思いました。

自分の日常を綴るエッセイや、考えたこと・体験したことを記録するブログ、知識や耳寄りな情報を伝えるメールマガジン、誰かにあてる手紙、140字で書くツイッター、かっちりとしたアカデミックな論文や、製品の裏にあるストーリーを伝える物語、まとまった情報を体系立てて伝える書籍、読み手を異世界へと連れ込む小説などなど自分にはどんな文章が書けるかなあと思わず考え込んでしまいました。

2つめは、強烈でユニークな作品のタイトルです。

今まで意識して絵画のタイトルなど見ていませんでしたが、ダリの絵のタイトルはとてユニークで個性的なものばかりです。

例えば「皿のない二つの目玉焼きを背に乗せ、ポルトガルパンのかけらを犯そうとしている平凡なフランスパン」や「真の画家は、空っぽの砂漠を前にしても、カンヴァスを途方もない場面で満たすことができるはずである」「チェロに残酷な攻撃を加えるベッドと二つのナイトテーブル」といった感じにタイトルだけでも「それってどんな絵なの!?」とき強烈な興味を呼び起こします。(リンクをクリックするとGoogle画像検索の結果に飛びます)

「完璧を恐れるな」というダリの言葉もそうですが、文字の組み合わせで、どうやって人の興味や関心を引き寄せるのかという点から見てもダリの独特なネーミングセンスは今まで見てきたどれとも違ってとても面白いと思いました。

そして、3つめは、ダリ自身、ただ単純に絵を描いているだけではなくて、作品の背景には明確な思想を持っていて、それを芸術というフィルターを通して表現しているんだなということです。

さらに言えば、その思想は、友人や恋人、さらには社会や時代といった周囲からの影響を受けて形成されたんだなということが作品を見ていて強く感じさせられました。

例えば、ダリは学生時代に後に映画監督となるルイス・ブニュエルと親しくなったことで、数年後には一緒に映画「アンダルシアの犬」の脚本を書き、ピカソとの出会いをきっかけにそれまでの絵とはまったく方向性の異なるピカソのキュビズムチックな絵を描くようになっています。

また、第2時世界大戦時にダリはアメリカへ渡るのですが、広島・長崎への原爆投下に大きなショックを受けて、原子物理学や数学といった学問のほか、カトリックや神秘主義などの宗教的な見識までを結びつけて、「物質の本来の姿を描く」という新しい芸術のありがたを探ろうとします。


この展示を見て、入場待ちをしている時にちょうど読んでいた「ハーバードの自分を知る技術」という本の内容が頭の中に思い浮かびました。

その本には、私たちは家族や友人、学校の先生、同僚、テレビ番組、宣伝広告、雑誌や新聞といった印刷物などのあちこちにある社会通念から受けている影響力の強さに気づきにくいものであり、「人は自分の尺度ではなくて他人の尺度に従って人生の方向性をきめてしまいがちだ」ということが書かれていました。

ダリが周囲の環境から影響を受けて作品のスタイルを大きく変えたように、僕もきっと周囲からいろんな影響を受けて今の自分がいるんだろうなということを思わされました。


そして、その上で「自分が周囲から受けている影響に対してどれだけ意識的でいるか」とか「自分がどういう価値観を持っていて何を信じているのか」ということを知ろうとする姿勢をいつまでも持ち続けたいと改めて感じました。

そんなこんなで、以前は美術館に行ってもこの絵好きだなとかなんだこのヘンテコな絵はといった小学生並みの感想しか抱かなかったのですが、今回は作品をきっかけにたくさんのことに思いを巡らせることがすごく楽しくて、美術鑑賞も悪くないなあなんて思った1日でした。